こんにちは、たかしです^_^
今日の新潟は強風吹きすさび、大荒れの天気です。
沖縄出発まで、あと11日。
今日は自宅に溜まってた仕事の書類などをゴミに出す為にまとめたりしました。
結構昔の書類なんかも出てきたりして、
その度に手が止まるもんだから、はかどらない、はかどらない。
さすがにこんな量じゃありませんけど。
さて、前回の日記の続きになりますが、
前回の日記はこちらをクリック
私が沖縄を初めて訪れたのは22歳の時のことでした。
それまでの私はというと、
高校まで新潟県のど真ん中(燕三条エリア)で生まれ、育ち、
高校卒業後は宮城県の大学へ進学。
沖縄とは全く無縁の生活をしてました。
沖縄を初めて訪れるまでに触れた沖縄と言えば…
THE BOOMの「島唄」
森高千里の「私の夏」
の中の歌詞、『決めた 沖縄の海にしよう〜』のとこ。
小学生の頃、高校生だった兄が修学旅行で訪れた沖縄で買ってきた、謎の空の薬莢。
あとは、DA PUMPだったり、アクターズスクールが全盛だったりもしましたが、
直接的に食べ物だったり、文化だったりと沖縄らしいものに触れたことは一度もありませんでした。
それでも、NHK朝の連ドラ「ちゅらさん」は大学時代よく見ていて、オープニングの小浜島の映像を見ては、いつかはこんな海がキレイな場所に行ってみたいなぁと憧れを持ったのを覚えています。
また主演の国仲涼子が抜群に可愛かった。
大学生活も終盤に差し掛かった、
大学4年の秋ころ、友達と卒業旅行の話題が出始め、
それほど裕福でもなかった当時の僕らは、
往復航空券、3泊宿泊費、4日分のレンタカー代合わせて25000円という破格の沖縄パック旅行の存在を知るや否や、すぐに飛び付き、即決。
こうして、それまで沖縄と無縁だった私はとうとう大学4年の卒業旅行で沖縄の地にようやく足を踏むことになりました。
迎えた、今から11年前の2004年2月。
私は初めて那覇空港に降り立ちました。
*ちなみに、飛行機もこの時が初体験。
3泊4日の行程で、
首里城、ひめゆりの塔、美ら海水族館や万座毛、海中道路、夜の国際通りなど、
沖縄本島のベタな観光ルートを回っただけでしたが、その雰囲気や景色、文化に一発で魅了されてしまい、
沖縄から帰ってきても、頭の中は寝ても醒めても、沖縄のことだらけ。
まさに沖縄病患者。
次第に、どうやったら沖縄で生活できるか、働けるか、考え始め、
当時、公務員浪人確定だった私は、ついに1つの結論に到達。
沖縄でバイトしながら、公務員受験勉強をする!
やると決めた私は早い。
すぐに求人に応募し、履歴書を何通も送りました。
その中で、小さな離島ではありましたが、こんなメチャクチャな私でも採用してくれたところがあり、何の迷いもなく、その地へ行くことを決定。
寝耳に水の両親は、開いた口も塞がらない様子でしたが、
「最終的には、全ての責任は自分にあるんだから、それをよく頭に入れとけ」と釘は刺されましたが、了承してくれました。
こうして、晴れて沖縄で生活することが決まった私。
大学卒業直後、2004年4月のことでした。
そして、初めて沖縄での生活の場となったのは、那覇から高速船で40分ほどの場所にある、
慶良間諸島の1つ、渡嘉敷島。
ここでの様々な出会いが今の私の原点になっています。
それについては次回。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今日の新潟は強風吹きすさび、大荒れの天気です。
沖縄出発まで、あと11日。
今日は自宅に溜まってた仕事の書類などをゴミに出す為にまとめたりしました。
結構昔の書類なんかも出てきたりして、
その度に手が止まるもんだから、はかどらない、はかどらない。
さすがにこんな量じゃありませんけど。
さて、前回の日記の続きになりますが、
前回の日記はこちらをクリック
私が沖縄を初めて訪れたのは22歳の時のことでした。
それまでの私はというと、
高校まで新潟県のど真ん中(燕三条エリア)で生まれ、育ち、
高校卒業後は宮城県の大学へ進学。
沖縄とは全く無縁の生活をしてました。
沖縄を初めて訪れるまでに触れた沖縄と言えば…
THE BOOMの「島唄」
森高千里の「私の夏」
の中の歌詞、『決めた 沖縄の海にしよう〜』のとこ。
小学生の頃、高校生だった兄が修学旅行で訪れた沖縄で買ってきた、謎の空の薬莢。
あとは、DA PUMPだったり、アクターズスクールが全盛だったりもしましたが、
直接的に食べ物だったり、文化だったりと沖縄らしいものに触れたことは一度もありませんでした。
それでも、NHK朝の連ドラ「ちゅらさん」は大学時代よく見ていて、オープニングの小浜島の映像を見ては、いつかはこんな海がキレイな場所に行ってみたいなぁと憧れを持ったのを覚えています。
また主演の国仲涼子が抜群に可愛かった。
大学生活も終盤に差し掛かった、
大学4年の秋ころ、友達と卒業旅行の話題が出始め、
それほど裕福でもなかった当時の僕らは、
往復航空券、3泊宿泊費、4日分のレンタカー代合わせて25000円という破格の沖縄パック旅行の存在を知るや否や、すぐに飛び付き、即決。
こうして、それまで沖縄と無縁だった私はとうとう大学4年の卒業旅行で沖縄の地にようやく足を踏むことになりました。
迎えた、今から11年前の2004年2月。
私は初めて那覇空港に降り立ちました。
*ちなみに、飛行機もこの時が初体験。
3泊4日の行程で、
首里城、ひめゆりの塔、美ら海水族館や万座毛、海中道路、夜の国際通りなど、
沖縄本島のベタな観光ルートを回っただけでしたが、その雰囲気や景色、文化に一発で魅了されてしまい、
沖縄から帰ってきても、頭の中は寝ても醒めても、沖縄のことだらけ。
まさに沖縄病患者。
次第に、どうやったら沖縄で生活できるか、働けるか、考え始め、
当時、公務員浪人確定だった私は、ついに1つの結論に到達。
沖縄でバイトしながら、公務員受験勉強をする!
やると決めた私は早い。
すぐに求人に応募し、履歴書を何通も送りました。
その中で、小さな離島ではありましたが、こんなメチャクチャな私でも採用してくれたところがあり、何の迷いもなく、その地へ行くことを決定。
寝耳に水の両親は、開いた口も塞がらない様子でしたが、
「最終的には、全ての責任は自分にあるんだから、それをよく頭に入れとけ」と釘は刺されましたが、了承してくれました。
こうして、晴れて沖縄で生活することが決まった私。
大学卒業直後、2004年4月のことでした。
そして、初めて沖縄での生活の場となったのは、那覇から高速船で40分ほどの場所にある、
慶良間諸島の1つ、渡嘉敷島。
ここでの様々な出会いが今の私の原点になっています。
それについては次回。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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