こんにちは!さとこです( ´ ▽ ` )
お久しぶりの登場です(。-_-。)
全くブログを書いていない間に、ネタだけはそれなりに溜まっています。
沖縄移住女子会♫も開催したし(←5月の事だけど…)
移住後の夢だった、沖縄の結婚式にも参加したし(←カチャーシー踊り損ねたけど…)
いつかブログにと、思いながら過ごしています。
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さて、今日は沖縄の人の距離感について。
そして、一人のおじいさんとの出会いについて。
確か、何度かブログに書いた事があったと思いますが、沖縄ではスーパーや飲食店など、あらゆる所で知らない人が気軽に声をかけてきてくれます。
リンゴを眺めていれば、
「このリンゴ!蜜が入ってて美味しいの!」
「テレビで言ってたから!」
「私、2個買おうね〜あなたは?」
と、勧められ。
ヨーグルトを眺めていれば
「ヨーグルトたっか!!」
「えっ?一人2個まで!?」
「ねぇ?どーする??」
と、見ず知らずの人に相談され。
王将でラーメンを食べていると、隣のテーブルのおじさんに、
「以前、女性がでっかいラーメンと餃子を一人で食べてて。それだけ食べそうな体型してたんだよ〜」
と、面白エピソードを紹介され。
その度に沖縄の暖かさを感じていました。そして、たかしにそのエピソードを話すんですが、たかしは一度もスーパーで話しかけられた事がないと。
男性だから?話しかけにくい空気だから??なんて、会話を最近二人でしていました。
そして、今日。
たかしと日用品の買い出しにサンエーへ。
お会計をしてもらっている間、疲れた私はベンチで休憩。
すると、一人のおじいちゃんが隣り座りました。
その時点で、さすがにもう感じるようになりました。
これは!!間違いなく話しかけられるΣ(・□・;)
案の定、
「90にもなるとね〜休憩しないとね〜」と、会話が始まりました。
でも、90歳には見えないくらいとっても肌が綺麗で若々しい方だったんです。
で、そんな話しをしている私たちをたかしが隠し撮り。
目の前に並んでいるスマホケースを見て
「これは何だ?財布か??」なんて、可愛い会話をしていたのですが、いつからか話題は戦争の事へ。
戦時中、おじいさんは17歳だったそうです。
戦争へ行かされる事はなかったけど、それはそれは大変だったんだよ〜と、穏やかな笑顔で語っていました。
初めは、伊江島にいたそうです。
この伊江島は、途中アメリカ軍に占拠されとても激しい戦場だったと伊江島の資料館で学びました。
その時のたかしの記事。
で、おじいさんはアメリカ軍に占拠される前に、沖縄本島に逃げたそうです。
ですが、すぐに本島南部、那覇や首里の辺りも攻められそれはすごい光景だったと。
そこで、おじいさんは夜中に爆弾が降ってくる中、那覇から与那原まで歩いて逃げたそうです。
どの位の距離なんだろう?と、調べてみると徒歩で約2時間のようです。
今の時代の2時間なら、歩けなくはないかと思いますが、戦場の爆弾が降る夜中。
食べ物も水も無い中と考えるだけで、恐ろしいですよね。
その後、おじいさんはアメリカ軍に捕まりハワイへ行かされる事はなかったけど、そのまま捕虜として働いたそうです。
トラックへの荷物の積み降ろしのような事をしていて、常に銃を突き付けられたいたんだよー、怖かったねー。
と、穏やかな表現でお話ししていました。
そして、やっと戦争が終わったら、今度は食べ物が全くない。これが本当に辛かった…。
今はね、食べ物でも何でも揃っているね〜。ありがたい事だよ、感謝、感謝。
そう、お話ししてくれました。
以前にも、郵便局で立ち話をしていたおばあさんが、戦争の話しをしてくれて。
アメリカの兵隊さんに捕まってね。
怖かったけど、その兵隊さんがこっそり皆んなにチョコレートをくれたんだよ。
美味しかったよ〜。って。
やっぱり沖縄にいると、内地にいた時よりも戦争を身近に感じるようになります。
戦争に関するテレビ番組も多いし、資料館なんかも多いし。
でも、こうやって戦争を体験した方から、特別な場でなく日常の会話で戦争の話しを聞く事が、何よりも戦争について知る一番の方法かもしれませんね。
資料館とかよりも、何か心に残るというか。今の平和な時間に自然と感謝できるような。
ただ、これから月日が流れるに連れ、こうやって実際に戦争を経験した方から、身近に話しを聞ける機会は、どんどん減っていくんですよね。
ありきたりな言葉だけど、決して忘れ去られてはいけない歴史です。
私たちに出来る事で、語り継いでいかなければな〜と、感じた出来事でした。
今日のおじいちゃんとの出会いに感謝です^_^
それでは、今日もありがとうございました。
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